「今、つくるということ」
「今、つくるということ」という設題を前にして、私は途方に暮れている。特に「今、」という言葉が、受け止めきれないほどに重たくのしかかる。ここで問われている「今、」とは、間違いなく三月十一日以降の時間を指している。
つくることに携わってきた私にとって、本来は特別な問いではなかったはずだ。これまで培った自身の経験をもとに、現在直面している課題やこれからの展望を述べればいいのだから。しかし三月十一日以降、それは変わってしまった。
これほどの範囲で社会や風土が一気に消えてしまう事態を、私は想像したこともなかった。「私は生き残った」という感覚を初めて覚えた。十六年前に経験した自然の脅威を、私はいつの間にか忘れていた。今日の文明には、耐えることの出来ない試練があることを思い知った。
土を焼くということは、先ずはそこに含まれる水分を結晶水のレベルまで蒸発させることから始まる。その為には大きな熱量が必要であり、私はその燃料に多くの電気を使用してきた。熱、水、蒸発、電気…、やきもの作家としてその恩恵を受けてきたシステムと、日々の報道で流れる深刻な言葉とが私の中で重なっていく。
つくるという行為が自己を発見し、自覚する為の方法であるとするならば、私は「今、」という状況を何とか受け止めようとする自分を、つくり手として信じてみようと思う。想像力を持ち続けなければならない。そしてこれからの社会的、風土的責任の果たし方を模索し、自分なりの目線でその輪郭を形づくっていかなければならない。
それが美術と名付けられるかどうかは別として。
2011/05/12
亀井洋一郎